主婦というのは何故こうも噂話が好きな生き物なんだろう。
コンビニで僕と一緒に店員をしているおばさんは、時々僕にとってはどうでも良い事をぺらぺらと話し掛けてくる。僕がそれをちゃんと聞いて的確な返事を返してくるのを期待しているわけじゃなくて、ただ単に人に聞かせたいだけのようだ。平日の昼前なんてそれほど忙しい時間帯でもないし、仕方なく僕は一人で喋り続けるおばさんに適当に相槌を打つ事にする。
「それでね、最近プチ家出って流行ってるらしいじゃない?」
最近というわけでもないんだけどなと思ったけれど、良い気分で話をしている所に水を差しても悪いので、そうらしいですね、とだけ返す。
「うちの息子のクラスメイトにもいるらしいのよ。学校を何日も無断欠席してると思ってたら、どうも家出してるみたいなの」
ああ、あのきちんと大学へ進学してくれる予定の息子の事か。
それにしても、クラスメイトの親どころか見ず知らずの他人にまで広まっていくだなんて、噂っていうのは恐ろしいものだ。
「でも噂じゃその子、家出って恰好じゃなかったらしいのよね。雨が降ってたのに、傘どころか荷物も何も持たずにふらっと歩いてた所を見た人がいるらしいの」
へぇ。まるで失踪みたいですね――特に深く考えずに言ってみたが、ふと何か喉にひっかかるようなものを感じる。
この町の近所。つい最近、雨の日に、荷物も無しに家を出て行った。
いや、こういう話はきっとどこにでもあるものだろう。ストレスとかそういうのが原因であてもなく家を飛び出すなんてよくある話だ。
ひっかかったものを何とか飲み込もうとする僕を気にせず、おばさんは本当にそう思っているのかと疑うような呑気な顔で続ける。
「結構目立つ子だから心配よね。前に息子の学校へ行った時に見かけたんだけれど、ヤンキーっていうのかしら?コギャル?髪の毛なんて金髪なのよ」
「――…っ」
息が止まってしまうかと思った。心臓がどくどくと早鐘を打つ。同じような背格好をしていた少女を僕は知っている。彼女は、最近誰よりも僕のそばに居てくれている。
頭の中に重い鉄球を投げ込まれたみたいだった。じりじりと指先が麻痺して呼吸の仕方が分からなくなる。僕は馬鹿だ。もっと早くやるべきだった事を怠って、忘れたふりをしていた。犬や猫の子じゃあるまいし、彼女を、アキをきちんと元の居場所へ帰してあげられる努力をするべきだった。
こんな身近に、ヒントが転がっているなんて思ってもみなかった。
「あ……」
上手く言葉が話せるかどうかもよく分からなくなった。霞みがかかったような頭でさっきの話を詳しく聞かせてくれないかと頼む。いつの間にか他の話題に移っていたおばさんは怪訝そうな顔で僕を見た。
「詳しくって言われても、他は彼女の家くらいしか知らないもの。大きくて有名なお家なのよ」
それだけ聞ければ十分だった。あと1時間ほどで僕の勤務時間は終わるし、あとは自分でその家に赴いて尋ねてみればいい。誰か一人くらい在宅しているだろう。
僕は願っていた。その家とアキが何の関係もなければいいだなんて思っていた。
訝しんでくるおばさんに、そういえば僕もそういう恰好の子を見たことがあるんですとだけ言うと、案外あっさりと家までの簡単な道筋とそこの名字を教えてくれた。個人情報というのは主婦のネットワークからたやすく漏れてしまうものらしい。
1時間というのをこんなに長く感じたのは初めてだった。誰かが悪戯に時計の速度を緩めているんじゃないかとすら思ってしまう。おつかれも言わずに店を飛びだした僕におばさんが何やらぶつぶつ文句を言っていたけれどどうでもよかった。